11/28/2015

小麦、発芽しました。

少し前に種蒔きを終えていた小麦。
無事に芽を出し、周りがどんどんと冬の色に変化する中、
鮮やかな緑色で畑を彩ってくれています。
葉っぱの先の朝露がキラキラと光って、もう眺めているだけでウットリ。



ちょうど、今年の初夏に収穫した小麦の一部で「麺」を作ったばかり。

その小麦の他の一部は、こうして畑に戻って・・・命のバトンタッチです。

穀物は、実る種が本当に沢山、一粒の種が何百粒、何千粒にもなりますから、
主食として頂くのにふさわしいと体感しています。
野菜だと、特にこの季節、人参や大根は、根っこを頂くので、
一本引っこ抜くたびに、これで丸ごとイノチを頂いているな~と実感するのです。

夏野菜は、本体は元気にそこに生きていて、実ったトマトやナスの実の部分だけを
いただいて収穫するのでまだ良いのですが、根菜はもうその子を丸ごと引き抜くので、
彼らの命を頂いて、そして今日を送っている自分に、
「ちゃんと楽しくイキイキと今日を満喫するのだぞ~」と言いながら感謝して
お料理させていただいています。
彼らの命を頂いているのですから、不満やら不完全燃焼な一日は失礼にあたるような
気がして、とにかく今日も完全燃焼!!

秋冬は、そういう意味でもああ~命を頂いている!!と実感しまくる季節でもあります。
「丸ごと引っこ抜く」系の野菜=根菜が旬になるせいですね。
(人参・大根・カブなどなどの根っこ族です。)

種を次の季節に繋いで、また彼らのお世話をすることで、
食事としてイノチをいただく彼らとも、ともに生きることが出来るような気がするわけですが、
米や雑穀、小麦は、とにかく一粒の種が万倍になる生き物!!
種に対しての実りがものすごい量になるわけです。
そして、その種そのものを頂くのが穀物です。


もしも穀物の持つ使命があるとすれば、この「一粒万倍」の種そのものを頂くというところに、
主食を担う要素があるののかもしれないなと、そんなことを思います。

種と種の実り方を通して、穀物への深い深い感謝を感じる今日この頃です。
もちろん、お野菜たちも・・・

私たちの今日を支えてくれた、沢山のイノチに感謝したいですね。
そして、心をこめて「頂きます、御馳走さま」を言いたいものです。