苗代に使う田の荒起し&畔の草刈り→田起し(耕耘)→畔塗→水を引いてため込む→代掻き二回→苗代の苗床となるベットのような場所を作る→一日乾かす→再び水を引く
という過程を経て、ようやく苗代の準備が整います。
苗床となるベットの数は田んぼの広さに応じて苗の量が決まるので、それぞれの田んぼで異なってきますが、私たちもまだまだ手探りが続きそうです。
こちらが苗床のベット↓
種籾を蒔いてから数日すると表面ひたひたの高さに水位を落とすため、苗床の高さは同じになっていなければ後々支障が出てきます。田んぼの中で同じ高さの苗床を作るために、水をある程度張った状態で、その水面に対して作業を行って高さを調節します。当然、田んぼのドロドロの土の中での作業になるので、畔塗に続いて、鍬を使った全身運動が続きます・・・
畔塗や苗代づくりのこの時期、みるみるうちに体から無駄なお肉が消え去っていくので、私たちにはダイエットのための特別な運動は必要ありません(笑)
そして、田植えの頃には体の筋肉たちも準備万端、整っているので、一日田植えをしても思ったより辛くはありません。うまくできているな~といつも感心してしまします。
さて、必要な量の苗床が出来たら、一日乾かします。
種籾を降ろした時に泥の中に潜り込んでしまわないように、ある程度の固さを保つためだそうです。
苗床を乾かしていると、この地域で小さい頃からお百姓さんをしている大先輩が通りかかり、私たちのお借りしている地域の田んぼの土では、一日乾かさず長くても半日ぐらいが良いとのこと。
ちょうど半日経った頃だったので、再び苗代に水を引くことになりました。
こちらが再度水を引いた苗代↓
(苗床は完全に水の中です。)
最近ではこの地域でも、水苗代で苗を育てている方は殆どいらっしゃらないそうです。
また、畔塗をする方もあまりいらっしゃらないとか。
畔をコンクリートにして畔塗や畔の草刈りなどの作業を大幅に減らすことができますし、田植えも機械、草取りも機械、稲刈りも機械・・・ということで、小さくて圃場整備がしていない私たちの田んぼは大きな機械が入れないために、労働が多いという理由からあまり喜ばれないというのが地域の現状のようです。
しかし、私たちはこの手のかかると言われている昔ながらの田んぼの方が返って有難いと思うことが多く、畔を高くすれば高水にできるので草取りが楽になりますし、畔が土ですから私たちが想像もしない生物の営みがそこにあって、栄養分を補給してくれているような気さえしてきます。
少し手はかかるように見えても、トータルで見ればこの昔ながらの田んぼの方が効率が良く、とても良くできている仕組みだと思うのです。
無駄なゴミも出ませんし、特別な資材も必要ありませんから、経済的かつエコです。
あとは工夫と知恵とからだを使うこと。
ご先祖様がつないできてくださったこの土と、石などをうまく活用していけばよいのですから、本当にこうした田んぼは日本にとっての宝物だと思います。
あっという間に今日も夕暮れとなり、山に日が沈むとひんやりとしてきます。
あとは水の高さや水の温度に気を配りながら、この水苗代に種籾を降ろし、苗を育てていきます。
種籾は苗代に降ろす日に合わせて、水に浸けてあり、このまま行くとどうやら明日の早朝に、種籾を撒くことになりそうです。
ちょうど一粒万倍日ですし、お天気に恵まれると良いのですが・・・
種籾を撒くのは「御神事」と言われ、古来本当に神聖なもののようです。
能や狂言、歌舞伎で踊られる曲などにもこの”水苗代に種を降ろす”という場面や五穀豊穣を祈る場面が数多く登場します。
昔から日本にとってお米が特別な存在であり、最も大切なものだったということが伺えます。
確かに一年間のお米のお世話の中で最も気が引き締まるのが、この種を降ろす時期かもしれません。田植えや稲刈りはワクワクしながら、勢いにのって行うものなのに対して、種を降ろしたり苗を育てるのはもっと静かな、でもその分強く熱い気持ちをこめて行うしごと、という感じです。
種籾を降ろす前は心身を清めてからにしたいと自然に思う、そんな感じです。
お米は神様。
あらためて今年もお米のお世話ができることに感謝の気持ちが湧いてきます。